気を使いすぎるとわけわからなくなっちゃわない

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 例えば、女性が二人もしくは複数の場合でも、一人の女性を褒めたとします。けなすわけではないので、いいことを言っていると思いますが、褒められてない側は、傷ついている可能性があるということもある。褒められていない方は私はそうでないと。

 わかりやすくいうと、二人から何かをいただいたとします。片方は凄く欲しかったもので「うわぁ、すっごい嬉しい欲しかったんだ、最高のプレゼントだよ。」と、つい喜んでしまう、すると、もう片方の人のプレゼントは最高ではなくなる。どう思うかはわかりませんが、ダメ出しをされたわけではないけれども、なんかダメだった気がしてしまったり。

 食べ物なら「今まで食べた○○の中で最高おいしいよ。」なんて言ってしまうと、今までのその他の人は、どう思うか。

 「私はね、パンが好きで、このあたりのパン屋さんのパンは、全部食べましたが、ここのが一番おいしいね。」なんて言ったら、他のパン屋さんは気持ちよくはないでしょう。

 家族の誰かが悪気無く「たまには、美味しいものを食べに行こう」なんて言うと、いつもご飯を作っている人は気分悪いですよね。

 

 そう考えると子どもを褒める時にも気を使ってしまう。お兄ちゃんと妹とかならまだしも、お兄ちゃんと弟とかだと、歳が近かったりすると、なお気をつかいますね。

片方を褒め過ぎると、片方はダメなんだと思ってしまうかもしれない。

 褒められていない方が、「そうすればいいんだ」とか、「見習ってやってみよう」、とかプラスに考えてくれればいいと思いますが、気を使いすぎると、今はどっちなんだ?プラスにとったか?傷つけてしまったか?と考えてしまう。

 

 だったら誰も褒めたりしない、意見しないならば、誰も悩まずにすむ。でも、そうするとマイナスもない代わりに、プラスも生まれない。何もしないのは、何も起こらないけど、成功も進展もないので成長もしない。

 

 だったら、みんな褒めちゃう?褒められたって納得できるかわからない。ウソくさくなっちゃたりしてね。

 あちらを立てればこちらが立たずと、物事には表と裏がある。すべてにおいて、うまくいくことはないのかもしれませんね。みんなが少しずつ気を使いあって、社会がうまくまわっている。いろんな考え方がある中ですべてをうまくいくようにと考えると、言い訳ばかりみたいとか、あっちでもこっちでもうまいこと言って八方美人みたいにとかなっちゃいそう。そんなことをぐるぐると、ずっと考えていると、おかしくなっちゃうから気を使い過ぎないようにと思うのだけれど、その時点で気を使いすぎているのかもと、また繰り返し考えてしまうのである。