完璧とまでは言わなくても、何事も、ちゃんとしたいものだ。
それが難しい、何が完璧なのか、何をもって、ちゃんと出来たといえるのか。現時点で完璧に出来たとしても、その時点で、また先が見えてしまうものだから。
上には上がいる、「ねずみの嫁入り」のように結局は誰が一番強いのか、巡り巡って一番は無いのでは。
どんなスポーツや格闘技も、チャンピオンがいるけど、その環境にない凄い人はもっといるかもしれない。そう考えると本当の一番は決められない。それを言っちゃあチャンピオンに失礼だと思っていますが。
それに未知の事を言うならば宇宙って・・・ねぇ、どんなのがいるかわからないよね。
娘の顔出しパネル、何か画像をと、ねずみっ❣
どんなに念入りに練った計画も、実際に実行してみたら、ああした方が良かったとか、こうすれば良かったということは、なくはない。完璧にしようと思えば思うほどに、完璧ではなくなっていくのではないかな。
あんまり人に嫌われたくないと思っていて、いろいろと高い水準で要求をこなしていきたいと頑張るのだけれど・・・。しかしながら、あちらを立てればこちらが立たずで、どうもバッチリと決まらない。どこかに強くても、どこかに弱かったり、常々全てにおいて絶対満足などないのかと思えてしまう。
何故こんな事を書いてきたかというと、自分に自信が持てずに、不安なのかもしれない。コロナウイルス感染症に脅かされる中、経済的や社会への役割を果たせない不安感で、自分に「完璧なんてないんだから」と言ってやりたいのかもしれない。
そもそも私は完璧主義でもないし、普段、ちゃんとした立派な人間ではないのだけれど、文章にして読んでみると、なんか、しっかりした人が書いているみたいに思えたので、私は全然ちゃんとした人ではないと書いておきます。
まあ、題名には、ああ書きましたけど、幸せかどうかは本人の現在値からどっちに向いているかとか、熱量とかが時間によっても変わっていきますよね、他人から見て、どうだこうだは関係ないですね。問題が無いことを良しとするか、問題が無いことを不幸せと思うか。問題にもよりますが、何もないと成長しませんし。
同じ状況でも、考え方で幸にも不幸にもなりますね。
なんとなくくらげ
余談とは思いますが、アスリートの中には自分を追い込むサディスティックと考える人と、追い込まれて喜びを感じるマゾヒスティックと考える人がいるみたいだけど、追い込むのも自分だし、それに耐えるのも自分だから、どっちかわからないね。どちらに考えるかで幸福度が変わるかな。