基準とは物事を基礎にする標準とな、時間にしろ、距離にしろ、方向にしろ、みんながわかるように決まりがある。基準を決めておかないと不便な面も出てくるだろう。
よく聞きそうな「普通○○だよね。」の普通は基準がないので、もしかしたら普通ではないのかもしれない。
今回、書きたいことは、あちらを立てればこちらがたたず、許す許さない、いいの悪いのどっちでもいいの、ということで、全てにおいて、いいも悪いもどっちもあるから、いろいろガツンと決めるの大変だよねです。
コロナってどんなもんなのか様子がわからなかった昨年度からすると、学校行事なんかも対策を立てて行われるようになってきて良かったと思う。
コロナの前から、どんなに対策が万全でも全く問題が無いというわけにはいかないものだ。問題をなくすには行動しないことだ。何もしないことでの問題もあるだろうけどね。
未来の社会を担っていくであろう子どもたちには健康に対するリスクを負わせるわけにはいかない。修学旅行等の中止はやむを得ないのかな。
この経験も子どもたちの方がしっかりと捉えてたくましく受け止めて考えられているという話も耳にする。そんな時代に大事な時期を過ごす子どもたちに安心感を与えられる大人になりたい。
全方向に気を使っていては前に進めないからどこかで決断をしなければならない。
例えば、TOKYOオリンピックやるのやらないの?そりゃあ、やった方がいいよね。やらない方がいいと思っている多くの人は、オリンピック自体がダメだとは思っていないでしょう。問題はコロナだよね。
新型コロナ感染拡大防止を第一に考えれば、オリンピックは当然やらない方がいい。しかし世界的イベントで平和の祭典オリンピックから見れば、もしかしたら1年後には何でもなかったようになるかもしれない流行り病で中止にするのはどうかと思う。
やってもやらなくても、いいも悪いもあるだろう、やらない後悔はないと思う。何もやらなければ、何も起こらない。問題を起こしたくなければ、何もしないことだろうね。
二つの道を進むことは出来ないので、一つを選ぶ。良かったか悪かったかは、時間が経ってから振り返ってみなければわからないですよね。